今回は土日とガッツリ能登へ。

土曜日の早朝、須坂へ近藤さんをお迎えに行き、一路、輪島市門前のグループホームへ。
先日、預かった洗濯物をお届けに。

ここは洗濯ができないので、全国から中学生のいらなくなったジャージを集めて着て、汚れたら捨てるということをしているというのを聞いていたので、少し前に支援させてと連絡をしてみました。

ここの施設は、先日伺ったあと、石川県の洗濯支援スキームで対応可能となっていたので、早速引き継ぎを済ませました。

その後、輪島市内を周り、現地で炊き出しをしている人などから状況確認。

輪島市内も、仮設住宅などの工事も本格化していました。

工事が始まれば、工事をする人が増える。

現地で活動する人が増えるほど、そこには必ず、着たものを洗う、ご飯を食べる、寝る場所が必要です。

「食う寝る洗濯」は人間が暮らすうえで、絶対に欠かすことができません。 

そして、輪島市の町野地区へ。

ここも、前回お話を聞いてきた個人でやっているペンションやガソリンスタンドへ行き、その後問い合わせのあった。町野町のスポーツセンターでもいくつか洗濯物をお預かり。

そして、この日は最後に、能登町へ。

二人の男の子を持つお母さんからの要請で洗濯物を回収に。

能登町は9割方水道が復旧しているのですが、ポツンポツンと、スポット的に復旧していない場所がありそこにお住まいの方でした。

当然洗濯にも難儀しているのですが、避難所にいるわけではないので、県の洗濯支援からは漏れてしまう。

お母さんにお話をお聞きすると、「水が出ないので、洗濯はもちろん、水筒を洗うのにも躊躇する。子供が学校へ行くのに、お茶をペットボトルで持っていかせているけど、僕だけペットボトルなのは嫌だと言われる(他の子どもの家は水が出たから水筒洗える)。こんなのがいつまで続くのかな・・・」と、ポツリと言われました。

洗濯物を取りに行くと、ものすごく喜んでくれて、子どもたちが、メッセージ付きのキットカットをくれました。

翌日は、珠洲市へ。

珠洲市へ行く前に、能登町でまだポツリとある断水地域で困っている人がいないか?確認に、岩井戸地域へ。
少し奥まった地域なので、峠の途中とか、奥の方になるとやはり道路や水道の復旧に時間がかかるんだろうと思います。

能登町から最後、珠洲市の方へ。

珠洲の中でも徐々に水が出だした地域と、まだまだの地域とあります。
半島の先端の方とか、やはり奥の方になるほど復旧が遅くなっているようです。

大谷地域というところに峠道を越えて行ってみると、津波の影響でかなりの家が壊れていました。

そこの避難所には、仮設の洗濯機はおいてありました。

消防の方がいたのでお話をお聞きすると、署員の方はやはり洗濯するのに休みの日に金沢まで行って洗っているとのこと。
洗濯の部分を僕らが担うことで、その時間と労力を本業やお休みに当ててもらえるようにしたいと思います。

その後、珠洲市にあるクリーニング工場さんになんとなく寄ってみると、そこの社長さんがたまたまいて、お話をお聞きすることができました。

現在工場動いていないけど、土曜日辺りから水が出たと。ようやく洗えるかもという話をしていました。

現地のクリーニング屋さんが洗えるようになればそれが一番いいので、ぜひ早く工場復旧してほしいなと思っています。

今回の災害で改めて感じているのは、どんなに服が安くなったとしても服を着捨てていくというのはやはり持続可能ではないということ。

いくら服があったとしても、汚れたら捨てる暮らしは成り立ちません。

衣類は必ず、洗濯やクリーニングしてもう一度使うということが求められる。

それがないと暮らしは普通に回らない。

洗濯やクリーニングしてもう一度着る事ができる、というのが、普通に暮らすために、誰しもに最低限必要なことになります。

現地で暮らす人はもちろん、そこへ働きに来る人、ボランティアをする人などなど、人の数が増えれば増えるだけ、必要性も増していきます。