朝5時に須坂市のクリーニング黒岩の近藤さんをお迎えに行き、そこから一路、宮崎クリーニング社さんへ。
近藤さんが途中から、能登半島をずっと運転してくれた。
当たり前だけど、一人で行くのと疲れ具合が全然違う。とてもありがたかった。
この近藤さんと、先日登場した長野市のスーパーシミ抜き職人の2人は、2019年に起きた台風19号での千曲川の氾濫による洪水の災害の時にもボランティアで無料クリーニングを行っていた。
洪水にのまれ泥だらけになった衣類を毎日の仕事の後に、来る日も来る日も洗ったり染み抜きしたりしていた。
すべて自分でコストをかぶって、すべて自分たちで処理をしていた。
今回、DSATを立ち上げたのはその姿を見ていたからというのもとても大きい。
そして、僕自身、その時ほとんど何も出来なかったことも大きい。
人的にも資金的にも後方支援する仕組みがあれば、多くの人が目に見える形で支援がしやすく継続もしやすい。
被災地に一番近い被害の出てないクリーニング屋さんが洗濯物を預かってきてクリーニングをしてお返しする。
その洗ってくれているクリーニング屋さんに遠くの人たちが支援金を送って支援を継続できるようにする。
何度も書いていますが、これがDSATの本来したいこと。
今は、前線が足りないので、後方ではなく僕らが前線に出ている状態なんですが、とにかく支援が持続可能なように人的にも資金的にも、できる限り動く部隊や組織は必要だ。
さて、この日はというと、僕らは能登町、珠洲市、輪島市を回った。(その他、能登町の避難所は、前回登場した七尾市の若手クリーニング師大森さんが一人でぐるっと回ってくれた!)
はじめに能登町役場に行ったけど、回収場所には多くの洗濯物があり、まだまだ支援の必要性を実感した。
その後珠洲市へ。当初の予定になかったけれど、珠洲市で一件、支援先を広げられた。
伺うと、洗濯機は避難所に備え付けられたようだが、「ぜひお願いしたい」と言われた。
未だ断水しているから、洗濯機が入っても十分に洗えるわけでないし、衣類によってはクリーニングが必要な服も必ずあるからだ。
支援方法の説明を一通りすると、「これ無料でいいんですか?」とその避難所を運営されている男性の方に聞かれた。
「はい!被災されている皆さんには無料でご提供しています。実は、全国のクリーニング屋さんをはじめ多くの方が募金をしてくれて、それでこの洗濯とクリーニングの支援をご提供できています」と答えた。
「こんな支援までしてもらえるんですね・・・」と、ちょっと言葉に詰まっておられた。
なんとなく直感で寄った場所だったのだけど、寄ってよかったなと思った。
皆さん、本当に募金ありがとうございます!!!
その後、行った輪島市の拠点で、一人の女性の方に「洗濯とクリーニングの支援てすごい視点の支援ですね」と言われ、数日前に初めて行った後、DSATのことがその施設の方たち周辺で話題になっていると言われた。
僕らからすると服を状態良く着るために、きちんと洗うことは生活に欠かせないことだと思うけれど、そこは一般の人からすると、見過ごされがち。こういった災害時で、衣生活の重要性に改めて気づく方は多いと思う。
この日は、道路も混むことがなくスムーズに集荷を終えられた。
いつも暗い中、能登半島から戻って来る事が多かったのだけど、初めて日本海に夕日が沈むのを見ながら、走って帰って来た。
遅く帰るともう少し早く回れたかな・・・?と思うけど、早く帰って来たら来たで、もっと別の避難所を回ってこられたかな?と思ったりする・・・