この日は、輪島市と珠洲市に入り、新しく支援活動範囲を広げる予定で動きました。
前日、DSAT立ち上げメンバーの東京のクリーニング師が・・・
「道の状態も分からないし、最初はなるべく単独で行かない方がいいだろ?俺、行けないから代わりに長男を行かせるわ」と。
「何時に出るんだ?4時?あー分かった、じゃーこっちを2時(深夜)に出ればいいな。」
僕の朝4時の出発に間に合うように、東京から長野まで大学生4年生の長男を送ってきて、そのまますぐに自分ちの仕事に間に合うように帰って行った(笑)
往復400kmくらい?「ちょっと送っていくわ」と言う距離ではない(笑)
あの人も多分ほとんど寝ていない。
よく分からない異常値で行動をする人が、このチームに関わる人には多い(笑)
そして共通して「俺がやりたいからやっているだけ」と言う。
たとえ他人から批判されても、相手に理解されなくても、俺がやりたいからやっているだけだと。
この日は、その大学生の長男「たか兄」と共に石川県の宮崎クリーニング社さんへ向かった。
宮崎さんのところで品物を積み込み、もう1箇所の協力工場の七尾市のアサヒランドリーさんへ行った。
到着すると、石川組合の平木さんが待っていてくれた。ルートを把握するために一緒に回ってくれると言って、平木さんも来てくれた。
そして、今度ルートを回ってくれることになった、大森さんと初めてお会いした。
大森さんのところも七尾市なのだけれど、自社の建物が被災をして使えなくなってしまい、アサヒランドリーさんの設備を借りて仕事をしているそうだ。
初めてお会いした大森さん、若い!イケメン!
歳を聞くと、32歳とのこと。
自分よりも若いクリーニング師に会うたびに、自分もいよいよ老害に足を突っ込んで来たことを実感する(笑)
でも、たか兄といい、大森さんといい、自分より若い人と一緒に今回動けるのは、なんか嬉しい。
アサヒランドリーさんを出たあと、まず能登町、珠洲市の方面へ向かった。
七尾から能登町に入った時も、被害の景色が変わったけれど、珠洲市に入ると被害の大きさが一段と深刻になった。
道路、建物、電柱、崖などなどなど、至る所が傾いたり、崩壊している。これまでで一番被害が大きい地域と実感した。
珠洲市役所に行き、窓口で対応してくれた職員さんたちも、ものすごく疲れているという印象を受けた。
めちゃ天気のいい日だったけれど、街全体がやや暗く沈んでいる感覚になった。
珠洲市の後、もう一つの激震地輪島市へ向かった。
輪島市も被害が大きいけれど、輪島市の方は、建物が丸ごと横倒しになっていたりと、街の壊れ方がなにか戦地みたいな感じだ。
この輪島では、ウミュードゥソラさんという地域生活支援施設で集荷を行うことになった。
地域の方の洗濯クリーニング品を預かる窓口もしてくださるので、輪島市の方は是非。
ウミュードゥソラさんからは、実はかなり前に支援の依頼を頂いていたのだけど、こちらの体制がなかなか整わずようやく伺えた。
「来てくれてありがとう!!」と言ってすごく喜んでもらったのだけれど・・・
満足に洗えない状態が続いているのだから、「お前ら洗うのが仕事だろ!遅いよ!何やってんだ!」と言われてもおかしくない案件だと思う。
僕らの仕事が、社会の中で何を司っているかが問われている。
普段から、それは問われるが、災害時にはより問われると感じる。
病気や怪我で苦しんでいる人を放置するプロがいないように。
道路が壊れて満足に走れない時に道路を放置するプロがいないように。
衣類を洗えず、満足に着たり使ったり出来ない時に、その状況を放置するプロでいたくはない。